仏教の誕生 |
佛教はヒマラヤ山の麓の、カピラバストという小さな国の皇太子であった釈迦の開 |
いた宗教である。名をゴ-タマまたはシッダ-ルタといい、釈迦とはその属する種族の名 |
である。若くして人生に無常を感じ29歳で出家し、当時有名な修行者に教えを乞うたが |
、納得することできず森の中に入り難行苦行をする。6年間の苦行の末にも求めるもの |
を求めえず、ガンジス川の南岸のブッダガヤに趣き、菩提樹の下に座禅し、沈思黙考に |
ふけり、ついに悟りを開いた。その境地は、人間として到達し得る最高の状態(仏陀) |
になったと自覚した。彼はその悟りの内容をもって一切の衆生を救おうと決意し、森を |
出た時、彼を見捨てた5人の家来に逢った。彼は初めて教えを説くと、5人はその場で |
弟子になった。彼はそれより故国に帰ると、城では父も,妃も、子も彼の教えに帰依し |
た。彼は教化のために各地を旅した。インドは雨期に道が悪いので、弟子たちは彼のた |
めに雨期の静養(雨安居)のための寺を建てた。これが祇園精舎である。 |
彼は行く先々で人を教化した。35歳で悟りを開いてから、80歳でクシナ―ラの沙羅双 |
樹の下で入滅するまで、45年間、教えを説き続けたが、これを文字に書き残さなかった。 |
そこで釈迦の弟子たちは、彼の死後に教えを整理し、経典を作成することになるが、そ |
の冒頭に「私はこう聞きました」と記すことにした。 |
「経」とは、釈迦の直接の教えのことなのだが、「釈迦から聞きました」という形で多く |
の経典が作られた。又教団の守るべき規則をきめた「律」や、後世の学者の佛教につい |
ての論文である「論」などを含めると、仏教経典はすこぶる大量である。 |
インドの国語であるサンスクリットやパーリー語で書かれた経典が中国に伝わり、次 |
々と漢文に訳され、その経典が日本に伝来することになる。 |
佛教が日本に伝えられたのは、今から約千五百年前の欽明天皇の時代といわれる。当 |
時の日本は氏族支配の時代で、蘇我氏・物部氏・中臣氏らによる崇佛か排佛かの論議の |
末、蘇我氏の提唱した崇佛の気風が定着する。とりわけその大きな力となられた聖徳太 |
子の業績は極めて大きい。奈良時代の南都六宗、平安時代の真言・天台二宗の誕生、鎌 |
倉以後の浄土思想の起こり、禅の招来、法華一門の思想等、日本の文化、思想の上で佛 |
教を外して日本を語ることは不可能である。 |