脇侍 勢至菩薩 観音菩薩
先代の本尊は行基菩薩敬刻開眼した御尊像であったが弘治年間の火災により焼失し現本尊は稲葉の西光院より勧請した。伝弘法大師御作。


平成11年に修理した際、胎内より墨書見つかる。
延宝6年、京仏師玄慶作と記されていた。
玄慶は慶派の一門。千葉・神奈川等作品が現存


當寺末寺薬王寺本尊
神奈川県立博物館の塩澤先生によると丸みのある全身、猫背気味の首の前傾など室町時代の作風が見らるとの事。
下がっても桃山時代の作品であると鑑定。

弘治年間に山室氏の正室
お藤の方が菱田鹿嶋神社に勧請された守り本尊。
明治の廃仏毀釈のため末寺薬王寺に避難、その後飯櫃蓮福寺に移る。現在の仏像は江戸時代の2代目である。

薬師如来の眷属で頭の上に十二支の干支が乗っています。山では今年の干支の十二神将のお守りをお授けしています。
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阿形                    吽形

第八世弁賀上人開眼供養と伝えられている。もとは仁王門に安置、現在内陣結界鎮座






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