名 称 瑠璃光山 薬王寺
所在地 千葉県山武郡芝山町菱田155番地
開 基 行基菩薩
本 尊 薬師如来
脇 侍 十一面観音、不動明王、十二神将
住 職 第48世 保田研精
御詠歌 ぼんのうを
     むねのちかにてやぐりおば
           しゅぎょうしゃならで
                たれかしるべし

                        薬王寺縁起

當山は、天平年間、時の高僧、行基菩薩がこの地に堂を建てて本尊薬師如来を刻み開眼したことから始まる。行基菩薩はこの地まで来られ布教をされようとしたが、当時は人家もまれで泥沼で菱が沢山茂っていたという。そこで、行基菩薩はこの地を菱田と名付けられた。菱の実はとげがあり、刺さると痛いので行基菩薩は石の舟にお乗りになり、この地に来られたという。今でも、菱田の中郷と辺田の部落の間の橋の下ったところに石があるが、そこが上陸された場所であると言い伝えられていて、今でも、菱田の人々はここを「石舟」と呼んでいる。行基菩薩がお乗りになった石舟が着くとたちまち水が引いて干地となったので、行基菩薩は、これは石舟の威徳だとお感じになり56億7千万年後に弥勒菩薩が卒都天より降臨される時に浮かび出て「来世の民衆を極楽浄土へ導く為の舟にならん」と祈られると、不思議なことに石舟は静かに沈んでいったという。この時、行基菩薩は、一夜にして本尊薬師如来を敬刻開眼し、堂を建てて供養した。現在の地には、飯櫃城主山室飛騨守が移したといわれている。天正18年(1590年)に、秀吉方の軍勢に飯櫃の城が落城し山室一族は奥方(お藤の方)の実家の菱田の地に、逃げ隠れた。その際、飯櫃城内の宝城寺にあったお藤の方の守り本尊の十一面観音を薬王寺の隣接の鹿島神社に本地仏として勧請した。現在は、廃仏毀釈の影響で鹿島神社から薬王寺に移された。その頃は、伽藍も整い、大寺の風格もあったと言われているが、度重なる焼失に会い、現在は本堂のみ現存している。現在48世の保田研精(蓮福寺住職)が住職であるが、本寺蓮福寺に住し兼務にしている。本尊、薬師如来は安土桃山時代の仏像との評価で脇侍と共に本寺、蓮福寺にて安置している。本堂の傷みが著しい為、解体し、平成22年5月に新本堂を規模を大幅に縮小して建設、お身代わり本尊を安置し落慶した。更に境内を公園化して面目を一新した。
           本堂              内部              山号額(住職書)
 



名 称   室木山 千手院  観音寺
所在地 千葉県山武市松尾町山室333番地
開 基 中興 蓮興上人
本 尊 阿弥陀如来
脇 侍 弘法大師・興教大師
住 職 第103世 保田研精
御詠歌 ありがたや
     だいしのここにましませば
           あまねくひとを
                すくうみだらし


                         観音寺縁起

當山は、詳しい縁起は不詳なれど、文政4年に蓮興僧都により中興開山し、183年間松尾地区の中心寺院としてその伽藍を誇っていた。境内は、500坪程で、観音堂、薬師堂、大師堂、山門、庫裏と建ち並んでいた。戦後、無住職となると、伽藍維持に支障をきたし、薬師堂、大師堂は修理かなわず、取り壊された。現在、本堂(41坪) 観音堂、山門のみ現存している。観音堂は、平成7年に全体修理を施工し、本堂は、平成13年に、銅板屋根張り替え工事を施工して面目を一新した。本堂内は、山武郡の本宗寺院には珍しく鏡縁のある(外陣板の間)本格的な作りである。又、境内には、山武郡で唯一の完全な形で現存する齋念仏塔(町指定文化財)がある。現在は、本寺芝山町蓮福寺の末寺として、蓮福寺住職保田研精が兼務している。

       本堂41坪       本尊     齋念仏塔       観音堂



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